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東京高等裁判所 昭和50年(ネ)2504号 判決

控訴人 高岡重太

右訴訟代理人弁護士 高原富蔵

同 町田健次

同 西川美数

被控訴人 財団法人藤沢市開発経営公社

右代表者理事長 伊草昇

右訴訟代理人弁護士 瀬高真成

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  控訴人

「原判決を取消す。被控訴人は控訴人に対し、金三八九五万三七一一円及びこれに対する昭和四八年三月二八日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言を求めた。

二  被控訴人

控訴棄却の判決を求めた。

第二当事者の主張

一  控訴人の請求原因

控訴人は、昭和四八年二月九日被控訴人との間で、控訴人所有の神奈川県藤沢市鵠沼海岸四丁目五二一八番八二、宅地五八五・三三平方メートル(一七七坪六七、以下「本件土地」という。)を被控訴人に代金三八九五万三七一一円(一平方メートルあたり金六万六五五〇円、一坪あたり金二二万円)で売渡す契約(以下「本件売買契約」という。)をした。しかして、右売買代金は本件土地の所有権移転登記完了後支払われる約であったところ、控訴人は同月一二日右契約に従って藤沢市に対する所有権移転登記をなした。

よって、控訴人は被控訴人に対し、右売買代金三八九五万三七一一円及びこれに対する弁済期の経過した後である昭和四八年三月二八日から支払済みに至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する被控訴人の認否

請求原因事実はすべて認める。

三  被控訴人の抗弁

1  本件土地上には控訴人の母訴外高岡スイが所有する家屋番号五二一八番八二、木造亜鉛メッキ鋼板葺平家建居宅一棟(床面積三三・三三平方メートル、以下「本件建物」という。)が存在し、ほかにもプレハブ造物置等が存在するところ(以下これらの建物を「本件建物等」という。)、本件売買契約は、本件土地をいわゆる更地として引渡すべきことを内容とするものであり、控訴人は右契約により同年二月一五日被控訴人から売買代金の支払をうけるのと引換えに、本件建物等を収去して被控訴人に本件土地を引渡さなければならないこととされていた。

しかるに、控訴人は、右同日右収去義務の履行を拒絶し、被控訴人の催告に応じなかったので、被控訴人は控訴人に対し、同月二三日口頭で本件売買契約を解除する旨の意思表示をした。

仮に右解除が認められないとしても、被控訴人は控訴人が右収去義務を履行しないことが明らかであったので、原審における昭和四九年一二月二日の口頭弁論期日において、控訴人に対し、右義務の不履行を理由に本件売買契約を解除する旨の意思表示をした。

2  仮に右解除が有効になされたものと認められないとしても、本件建物等の収去義務と本件売買代金支払義務とは同時履行の関係にあるから、被控訴人は控訴人において右収去義務を履行するまで本件売買代金の支払を拒絶する。

3  仮に本件売買契約に基づき控訴人が本件建物等の収去義務を負わず、右契約が本件建物等に伴う地上権、借地権等の負担付のまま本件土地の所有権を移転する旨の、いわゆる底地としての売買であったとすれば、右契約は要素の錯誤により無効である。すなわち、被控訴人は藤沢市総合計画を推進する上で必要な用地を計画的に確保し、必要な施設を設け、これを経営することにより、市政の発展と市民福祉の増進を図ることを目的とする財団法人であって、公有地の拡大の推進に関する法律五条一項の規定に基づく控訴人からの買取希望申出により同法による買取として、公共的用途に供することを目的として本件土地を取得したものであるところ、右目的のためには本件建物等の収去が当然の前提となるものであり、右申出から買取協議を経て契約成立に至るまでの間、控訴人から底地としての売買であることの申し出は全くなかったから、被控訴人としては控訴人において当然本件建物等の収去義務を負うものと信じて買受けの意思表示をしたものである。そして、もし控訴人において右義務を負わないとすれば本件土地を公共的用途に利用できないことに帰し、被控訴人としてはこれを買受ける意思が全くなかったことは明らかであるから、右買受けの意思表示はその重要な部分に錯誤があるといわなければならない。

四  抗弁に対する控訴人の認否

1  抗弁1のうち、本件土地上に控訴人の母訴外高岡スイ所有の本件建物のほかプレハブ造物置等が存在すること、控訴人が昭和四八年二月一五日本件建物等を収去することを拒絶したことは認めるが、その余は争う。

本件売買契約は、本件建物等に伴う地上権もしくは借地権の負担付のまま本件土地の所有権を移転する旨の、いわゆる底地としての売買であり、控訴人は右契約に基づき被控訴人に対し、本件建物等を収去して本件土地を引渡すべき義務を負うものではない。このことは、本件売買契約の契約書第三条に「この土地に抵当権、地上権、その他所有権の完全な行使を阻害する権利が設定されている場合には、この契約締結前に乙(控訴人)において排除しなければならない。」旨の、更地としての売買であることを示す印刷文言があったところ、契約成立にあたり控訴人の申し出により被控訴人側担当者も了解の上、右のうち「地上権」、「所有権の」の七文字が抹消され、底地としての売買であることが明らかにされていること、被控訴人は本件土地上に本件建物等が存在し、控訴人及び訴外高岡スイがこれに居住していることを承知していたにもかかわらず、契約にあたり右建物等の処置について契約書に何らの定めをすることなく、かえってその第四条に控訴人において代金受領と同時に、「現状のまま」目的土地を引渡す旨の定めをおいていること、本件土地の更地としての時価は一坪あたり金四〇万円以上であり、控訴人が金二二万円という低額で本件土地を更地として売渡すことはありえないこと、本件売買契約が被控訴人主張のとおり更地としての売買であったとすれば、被控訴人としては控訴人ないし訴外高岡スイに対し建物収去土地明渡を請求することが可能であり、右請求をするのが当然であると思われるのに、被控訴人は本件土地につきなされた請求原因記載の所有権移転登記を僅か一六日後の昭和四八年二月二八日に抹消し、右請求を全くしていないことなどから明らかである。

2  同2は争う。

3  同3は争う。被控訴人は本件売買契約が底地としての売買であることを十分認識しつつ契約に及んだものであるから、錯誤の問題の生ずる余地は全くない。

五  控訴人の再抗弁

仮に被控訴人の買受けの意思表示に要素の錯誤があったとしても、被控訴人は本件建物等が存在することを熟知しながら、これに関する処置につき何ら触れることなく本件売買契約締結に及んでおり、その契約担当者がいずれも公共用地等の買収事務について専門的な知識経験を有する者であって、公共用地取得という契約の目的からいっても、権利関係の調査、契約書の作成等の点において特に正確を期しなければならない立場にあることに照らせば、被控訴人には重大な過失があったものというべきであるから、被控訴人は民法九五条但書により錯誤による無効を主張しえない。

六  再抗弁に対する被控訴人の認否

争う。

七  被控訴人の再々抗弁

被控訴人が公有地の拡大の推進に関する法律に基づき本件土地を公共的用途に供する目的で本件売買契約に及んだものであること、したがって当然本件土地を更地として取得する意図を有していたことは、当時自ら宅地建物取引主任者として不動産取引業を営んでいた控訴人としても十分これを知っていたのであるから、本件においては民法九五条但書の適用はない。

八  再々抗弁に対する控訴人の認否

争う。

第三証拠関係《省略》

理由

一  請求原因事実はすべて当事者間に争いがない。

二  そこで、被控訴人の抗弁1(本件売買契約の解除)について検討する。

1  《証拠省略》を総合すれば、以下の事実を認めることができる。

(一)  控訴人は、宅地建物取引主任者の資格を有し、貸ビル業を営むかたわら不動産取引業をも営む者であるところ、昭和四三年にドライブイン、レストラン等を建築するため本件土地を取得し、その後昭和四七年末頃その地上に五階建のマンションを建設することに計画を変更したが、「藤沢市生活環境確保に関する基本条例」に基づく「藤沢市建築物指導要綱」に定められた藤沢市長との協議がととのわないため、建築確認申請が受理されず、右計画を実現できないでいた。そして控訴人は藤沢市が公有地の拡大の推進に関する法律の定めるところに従い本件土地を買取りたいとの意向をもっていることを知り、昭和四八年一月一八日同法律五条一項の規定に基づき神奈川県知事宛に土地買取希望申出書を提出した。その際、本件土地上には当時控訴人の母訴外高岡スイ所有の本件建物が存在し、ほかにプレハブ造物置等も存在していた(このことは当事者間に争いがない。なお、右物置等は控訴人の所有に属するものと推認される。)ので、控訴人は右申出書(前記法律施行規則に基づきその様式が定められているもの)中「当該土地(本件土地)に存する建築物その他の工作物に関する事項」の欄に訴外高岡スイ所有の本件建物が存在する旨を記載したが、「当該土地に存する所有権以外の権利」の欄には斜線を施し、何の記載もしなかった。これに対し、同知事は同月二六日控訴人に対し、前記法律六条一項の規定に基づき藤沢市が代替土地の取得を目的として買取りの協議を行う旨の通知をし、被控訴人が藤沢市から委託をうけて控訴人と右協議を行うこととなった。

(二)  そこで被控訴人の総務課管理係長三橋保(藤沢市総務部土地対策室用地管理課管理係長を兼ねる。)らは本件土地の登記簿謄本、住民票等を調べ、登記簿上所有権以外の権利が存しないこと、本件建物には控訴人を世帯主として控訴人と訴外高岡スイの二人だけが居住していることを確認した上、買取価格の検討に入った。そして前記法律七条の規定(地価公示法六条の規定による公示価格を規準として算定した価格をもって買取価格としなければならない旨を定める。)に従って近隣地の公示価格を規準として一坪あたり金二〇万円の価格を算出し、同年二月六日右三橋及び課長の小野某が本件建物に控訴人を訪ね、本件土地の現況を確認するとともに、訴外高岡スイも同席しているところで買取価格として右金額を提示した。

ところで、公有地の拡大の推進に関する法律による土地の買取りは公共及び公用施設用地あるいは右用地取得のための代替土地等の公共的用途に供するために土地を取得するものであるから、本件土地の場合も、その地上に本件建物等が存在していては買取りの目的に反することが明らかであるので、被控訴人としては、右建物等は買取後直ちに収去してもらい、更地として本件土地の引渡をうけることを当然の前提とし、右価格も右前提に基づき更地価格として提示したのであり、控訴人もこれを十分承知していて、右提示に対し近隣地が更地価格一坪あたり金四〇万円以上で取引きされた事例等を挙げ、右提示額が低額に過ぎるとして、三橋らに対しその再検討を求めた。なお、その際、控訴人、訴外高岡スイとも本件建物等に伴う本件土地に対する権利につき特に発言することもなく、右権利を本件土地の売却と区別して取扱う態度は全く見られなかった。

そこで、被控訴人は、前記提示額を一割増額して一坪あたり金二二万円の金額(これも前同様更地として引渡をうけることを前提とする金額であることもちろんである。)を最終的な買取価格として提示することとし、三橋が同月八日再び控訴人方に赴き、右価格によって買取りを希望する旨の藤沢市長名義の文書を控訴人に交付したところ、控訴人は前々日同様右価格では買取りに応じられないとの意向を示した。

(三)  ところが、控訴人は翌九日被控訴人の事務所を訪れ、被控訴人の理事兼藤沢市総務部土地対策室長鈴木寛一に対し東京方面に手頃な代替物件が見付かり現金が至急入用となったので、前日の提示額で買取りに応じたいと申し出た。

そこで、右理事の指示に基づき三橋及びその部下の佐藤信夫が直ちに契約書の作成等必要な手続をすることになり、右佐藤が、被控訴人において通常用いる印刷された売買契約書用紙を二枚用意し、目的物件として本件土地を表示し、代金額を一坪当たり金二二万円の換算額一平方メートルあたり金六万六五五〇円、総額金三八九五万三七一一円と記入する等して空欄部分をうめ、署名押印部分を除いて売買契約書二通を完成して、控訴人に内一通を見せたところ、控訴人はこれを一読した後、第三条に「(権利の排除)この土地に抵当権、地上権、その他所有権の完全な行使を阻害する権利が設定されている場合には、この契約締結前に乙(控訴人)において排除しなければならない。」とあるうちの「地上権」の語の上に線を二本引いてこれを抹消し、「所有権」の語も同様にして抹消すべく線を一本引いたので、佐藤がこれをとがめたところ、控訴人は「こんなものはないのだから必要ないだろう」と答え、佐藤が「ないものなら残しておいてもよいではないか」と応酬し、二人の間に一時険悪な空気が流れた。しかしながら三橋、佐藤は右のような抹消がなされても売買の目的物件たる本件土地の所有権の完全な行使を妨げる権利を控訴人において排除しなければならないとの右第三条の趣旨は失われないと判断し、控訴人の気のすむように右抹消を認めることとし、佐藤において、右の趣旨を生かすには「所有権」の次の「の」も削除する必要があると考え、前記のとおり控訴人が引いた「所有権」の語の上の線を「の」の上まで延長し、更に右四文字の上に線を一本加え、次いで他の一通についても、「地上権」、「所有権の」の七文字の上に線を二本引いて同様の抹消を行った。そして最後に両当事者の署名(記名)押印がなされ、契約書作成を完了し、ここに本件売買契約が成立した。その際代金の支払時期は控訴人の希望によりなるべく早くすることとし、登記完了後の同月一五日と定められた。

(四)  被控訴人は右契約成立の際控訴人から受取った必要書類を用いて同月一二日控訴人から藤沢市への所有権移転登記手続を了し、同月一五日前記小野、三橋が本件建物を訪れ、控訴人に対し、本件建物等の収去を求め、少なくとも右収去を確約する書面に署名押印しなければ代金を支払うことはできない旨申し入れたところ、控訴人は底地を売却したにすぎないとして直ちに代金を支払うべきことを求め、本件建物等及びこれに伴う土地の占有権原を別途被控訴人において買取った上でないと右収去には応じられないと主張するに至った(右同日控訴人が右収去を拒絶したことは当事者間に争いがない。)。その後も同月一七日から同月二〇日過ぎまでの間に、控訴人と三橋との間で二、三回同様のやりとりがあり、被控訴人側は更地としての売買であるから控訴人の言うように地上建物等をあらためて買取ることはできないとして、代金の支払と引換えに本件建物等を収去するよう求め、これに要する実費は被控訴人において負担する旨、また控訴人においてあくまで底地としての売買であると主張するのであれば契約を白紙に戻してもよい旨申し出たが、いずれも控訴人のいれるところとならなかった。

(五)  以上の買取希望申出書提出から買取協議を経て契約成立に至るまでの間、控訴人から、本件売買契約が、本件建物等を現状のままとし、これに伴う占有権原の負担付の状態で本件土地の所有権を移転する旨の、いわゆる底地としての売買契約であるとの話が出たことは全くなく、控訴人は右二月一五日に至って初めてその旨の主張をするに至ったものである。

以上のとおり認められ(る。)《証拠判断省略》

2  以上認定の事実に、地上に建物が存在する土地について売買契約が締結された場合、売主は反対の特約のない限り、右契約の内容として、右建物が自己の所有であればこれを収去し、他人の所有であればその者と交渉するなどして収去を実現した上、買主が買受土地を完全に利用することの可能な状態、すなわち更地にしてこれを引渡すべき義務を負うものと解するのが契約当事者の通常の意思に合致するものと考えられることを総合して考えれば、本件売買契約においても、控訴人において右の義務を負うことが契約内容に含まれていたものと認めるのが相当である。

3  控訴人は右認定に反し、本件売買契約がいわゆる底地としての売買であることを肯定すべき根拠として種々主張するので、以下これにつき判断を加える。

まず、前記1、(三)認定のとおり契約成立にあたり双方了解の上契約書第三条の文言中七文字が抹消された点について考えるに、右第三条の右抹消前の文言(右契約書は物件の表示、代金額等の欄を除き既に印刷された定型的な用紙が用いられているものである。)は、契約締結前の義務として規定されている点において本件の事実関係にそぐわないことはともかくとして、抵当権等の担保権の排除義務のほか、売主が地上に存する建物等に伴う土地に対する占有権原(地上権、賃借権、使用貸借上の権利等)を排除すべき義務、したがって右建物等を収去して目的土地を更地として買主に引渡すべき義務を負う旨を規定するものと解され(右文言中「地上権」の語が民法所定の地上権のみを意味するとは解されない。)、既に印刷されている右文言から前記七文字が特に抹消されたことは、なるほど控訴人主張のように控訴人が右収去義務を負わない旨が特約されたことをうかがわせるものと考えられないではない。しかしながら、前記七文字の抹消された後の第三条の文言によっても控訴人が右義務を負うことが必ずしも読み取れないわけではなく、少なくとも右抹消後の文言自体から右義務が免除されるとの結論が当然に導かれるものではないというべきであるし、右抹消の経緯について、控訴人本人は原審及び当審において、「底地としての売買であることを明らかにするために右抹消に及んだのであり、その旨をその場で被控訴人側の担当者三橋、佐藤に告げ、同人らは一旦これに反対したが、結局右抹消を認めることで了承した。」という趣旨を供述するが、右供述は《証拠省略》に照らしてにわかに採用し難く、その際の控訴人と被控訴人側担当者とのやりとり及び右担当者の右抹消に対する認識は前記1、(三)に認定したとおりのものであったと認めざるをえない。もっとも、「地上権」がないというのであればこれを抹消することにあえて固執するまでの理由は見出し難く、また、ないものを抹消するというのであれば本件土地には抵当権の設定もない(《証拠省略》によって認める。)のであるから「抵当権」の語も抹消してしかるべきであり、控訴人が右抹消に固執した真意がどこにあったのかは必ずしも明らかでなく、あるいは控訴人としては右抹消により底地としての売買契約を成立させることを内心意図していたのではないかとの疑いもないではないが、右抹消後の第三条の文言自体の表示するところ及び右抹消の際のやりとりが前叙のとおりであることからすれば、右抹消がなされた事実をもって、控訴人から底地としての売買の意思表示がなされ、これを被控訴人側の担当者が承諾したものとは認め難いというべきである。

次に、被控訴人が本件売買契約当時本件土地上に本件建物等が存在し、控訴人及び訴外高岡スイがこれに居住していることを承知していたことは先に認定したとおりであり、《証拠省略》によれば、右建物等の収去について契約書上明示の定めはなく、契約成立に至る過程においても右収去の時期、方法等について特に協議がなされたことはなかったことが認められるけれども、《証拠省略》によれば、本件建物等は本件土地の僅かの部分を占めるだけで、収去の容易な構造のものであり、本件建物も含めそれ自体としてはさほどの価値を有するものとは思われなかったこと、前認定のとおり居住者も控訴人とその母である訴外高岡スイに限られており、本件建物は同訴外人の所有とされその旨の保存登記もなされてはいたが、控訴人との身分関係や被控訴人側担当者が控訴人方を訪れた際の同訴外人の態度から見てその処置については控訴人が実質的な決定権を有する立場にあるものと推察される状況にあったことなどから、被控訴人側担当者は本件建物等の収去の実現について疑念を抱かず、その時期、方法等の確認に十分意を用いなかったものと認められるのであり、右のような右担当者の態度はまことに軽率であったとのそしりを免れないが、その結果前認定のように契約書上も協議の過程においても右収去義務の存在やその履行時期等につき明示されるところがなかったからといって、これをもって、控訴人が右義務を負わない旨の特約があったとの結論を導くことはできないというべきである。なお、《証拠省略》によれば、前記契約書に第四条として、売主は代金受領と同時に、買主に「現状のまま」目的土地を引渡す旨が規定されているが、右は、前叙のとおり前記七文字抹消前の第三条が、目的土地に対する所有権の行使を阻害する一切の権利の排除が契約締結前になされるべきことを定めている関係で、契約締結時には既に右排除が完了していることを前提として右のような形の規定がなされているにすぎないとみるべきであり、右規定が定型化され既に印刷されたものであることもあわせ考えれば、これを当事者間に成立した具体的な契約内容として文言通りの意味に解するのは相当でないとみるべきである。

また、本件土地の売買代金額が更地価格としては低額に過ぎるとの控訴人の主張については、《証拠省略》によれば、当時近隣の更地の取引事例に一坪あたり金四〇万円程度のものもあった事実はこれを認めうるが、本件土地の更地価格も金四〇万円を下らなかったとする右本人の供述は、右事例の土地と本件土地とでは立地条件、面積などの点で違いがあって同列には論じえず、本件土地の更地価格は当時金二〇万円ないし二五万円であったと思う旨の近隣の不動産業者である右証人板橋由蔵の証言に照らしても、これをそのまま採用することはできない。もちろん、前認定のとおり公有地の拡大の推進に関する法律に基づく買取りについては同法七条による価格の制約があり、被控訴人は右規定の趣旨に従って一坪あたり金二二万円なる価格を提示したわけであるから、それが一般の取引における時価よりはある程度低いものであったことは推認に難くないが、控訴人が先に認定したように公的規制の面から本件土地の利用計画の実現に困難を感じ本件土地を手放そうと考えるに至った点や代金の支払方法、支払時期などをも総合して考えた場合、本件売買代金額が時価に比べて著しく低額であって、更地としての売買であれば控訴人において右価格で買取りに応じることは考えられないとまでは到底認めることができない。

更に、《証拠省略》によれば、被控訴人が昭和四八年二月一二日藤沢市のためにした所有権移転登記を同月二八日錯誤を理由として抹消し(控訴人はその手続に関与していない。)、その後は本件売買契約が更地としての売買であることを前提として控訴人ないし訴外高岡スイに対し本件建物等の収去を請求していないことが認められるが、《証拠省略》によれば、被控訴人は、前認定のとおり控訴人が同月一五日以降本件建物等の収去を拒み、その意思が強固であると思われたことから、契約の円満な実現はもはや望めないと考え、未だ代金を支払っていないことも考慮して、控訴人の本件土地に対する権利を拘束することのないようとりあえず右抹消をし、その後も被控訴人としてはその公的な性格にかんがみ、あくまで契約の目的実現を強行することは差し控え、契約を解消する方向で事態を収拾する意図で今日に至っていることが認められ、右のような行動に出た背後に被控訴人としても前認定の契約書第三条の七文字抹消等の点において事務処理にやや問題がないではなかったことを自覚し、これに対する配慮があったことも否定できないにせよ、被控訴人の右行動をもって、本件売買契約に底地としての売買である旨の特約が存在したことの証左とみることは到底できない。

4  《証拠判断省略》

5  ところで、右に認定した控訴人において本件建物等を収去して本件土地を引渡すべき義務の履行期について考えるに、この点について必ずしも明示の協議、とりきめがなされていなかったことは前叙のとおりであるが、特段の事情のない限り、右義務の履行は代金の支払と引換えになすべきものとするのが契約当事者の通常の意思であると考えられることや前記契約書第四条の定めの趣旨からすれば、代金の支払時期である昭和四八年二月一五日をもって右義務の履行期とする旨が合意されていたものと認めるべきであり、右認定を左右するに足りる証拠はない。

6  そして、前記1、(四)に認定した事実関係によれば、控訴人は右履行期に右義務を履行せず、その後も被控訴人から代金の支払について口頭の提供をうけ、右支払と引換えに右義務を履行するよう催告されながらその履行を拒絶したものであるから、遅くとも同月二〇日過ぎ頃には右義務につき遅滞に陥ったものと認めることができ、その後同年三月に本訴を提起し、これを維持してきた経過に照らし、控訴人がもはや右義務を履行する意思を全く有しなかったことは明らかである。

しかして、被控訴人が原審における昭和四九年一二月二日の口頭弁論期日において、控訴人に対し、右義務の不履行を理由に本件売買契約を解除する旨の意思表示をしたことは訴訟上明らかであり(なお、被控訴人が控訴人に対し昭和四八年二月二三日口頭で解除の意思表示をしたことについてはこれを認めるに足りる証拠はない。)、本件売買契約はこれにより有効に解除されたものというべく、被控訴人の抗弁1は理由があるといわなければならない。

三  よって、本件売買契約に基づき被控訴人に対し、売買代金及びこれに対する遅延損害金の支払を求める控訴人の本訴請求はすべて理由がないものとしてこれを棄却すべく、これと同旨の原判決は相当であって本件控訴は理由がないこと明らかであるから、これを棄却することとし、控訴費用の負担につき民事訴訟法九五条、八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 滝田薫 河本誠之 裁判長裁判官江尻美雄一は転任につき署名押印することができない。裁判官 滝田薫)

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